因島文化協会の会報誌(広報誌)「つれ潮」を読んでみました。
まずは24号(2007年9月発行)のコラム
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〜前略〜
尾道市文化協会と因島文化協会の違いは色々と有るが、一番に驚くのが協会の運営に到まで市職員の関与だ。
合併した他の所の人の中には尾道市文化協会に合併して我々の作業は半減し楽になった、と喜ぶ顔が見られるが、因島のように発会当初から会の運営は自分たちで行い、行政には迷惑をかけないようにと運営してきた者には驚くばかりだ。
〜中略〜
因島が進んでいるのか遅れているのか、尾道市も隣の福山市を手本にして改革を進める必要があるのではないか。
福山市では市の補助は極力減らし、その代わり施設の使用料は全額無料にしている。尾道市でも文化都市を目指すならこれも一考する必要があり... 〜後略〜

全文
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なるほど、合併してみて初めてわかるお互いの常識、というやつですね。
かつては貴族や武将、豪族がある種文化がのパトロンだったと思いますが、貴族も豪族もなくなった現代、そのパトロンの一端を担うのは行政(国や自治体)の仕事のひとつと思っています。ただその方法論には疑問もありました。
行政は、あくまで育つ為の一端を担うだけであって、せっかく育った文化を行政に預けてしまうと、失敗も少ない代わりにそれ以上育つこともないということです。これは行政が問題というより市民の意識の持ち方ではないでしょうか。。。
などど思いつつ、今年の9月発行の25号のコラムを読むと答えらしきものを書いてくれていました。
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"よい無駄遣いが無ければ文化は育たない"
〜前略〜
社会主義がもたらす深刻な害悪は文化が生まれないことではないだろうか。私有財産を廃止した所には文化は生まれないといわれている。
個人ではなく、国がカネを使うと庶民文化は育たない。政府の無駄遣いは一握りの官僚の無駄遣いに終わり文化の向上には関係が無い。その点民間人の無駄遣いは其処に消費文化が生まれる。その極端が江戸時代の吉原ではなかろうか。 〜中略〜
算盤勘定では真の文化は生まれ育たない。よい無駄遣いが無ければ文化は育たない。

全文
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一年前に書かれていた前号の協会合併の感想とは、一見繋がらないような内容ですが、執筆者の根底に流れる精神には同一のものを感じます。
ほとんどの市民は金銭的なパトロンには成り得ませんが、意識と行動ではパトロンになれるはずです。
みんな仕事や趣味、付き合いを通して色々なことに関わっています。"自分だけが楽しめたら良い"と思わずに、それぞれが携わったことに意識と行動を注ぐことが、いわゆる文化の裾野を拡げていくことになります。一人が百歩進むより、百人が一歩進む方が、より豊かなまちづくりやひとづくりに貢献できると思いました。