77回目の広島原爆の日。大東亜戦争における田熊村(現尾道市因島田熊町)の死没者は161人を数え、うち11人が原爆による死者のようで、その中には伯父も含まれています。伯父は進学先の旧制中学で被爆。一命をとりとめ帰郷しましたが、9月24日に亡くなりました。父や祖母によると、伯父は広島の惨状を語りながら「ワシは運が良かった」と話し、事実、頬に少し傷がある程度だったとのこと。しかし後日自宅前の海で泳いでいたら頭髪が抜けはじめ、少しだった頬の傷も拡がりました。床に臥せるようになり、医師も栄養剤のようなものを注射してくれるだけで、被爆から二月足らずで永眠。亡骸は村外れにある斎場で荼毘に付されました。仏間の伯父と戦死した祖父の遺影は、戦争の悲惨さを私が幼い頃から伝えてきました。
早すぎるじゃろwww
中国地方は統計開始以来、最も早い梅雨明け(これまでの最早:1978年の7月3日ごろ)、 梅雨期間は14日間で最短を更新(これまでの最短:1978年の22日間)らしい。。
80年前の昭和16年12月8日、ハワイの真珠湾を奇襲により日米の戦いが始まり、支那事変を含めた大東亜戦争は昭和20年8月まで続きました。
以下の画像は、近所のお爺ちゃんが託してくれた真珠湾奇襲の写真(東京日日新聞・毎日新聞)です。他に田熊村徴兵検査などの写真もありました。どれもテレビや紙面でよく見る画像ですが、実際に手にすると臨場感を感じます。
ソフトを使って少しだけカラー化してみました。
英霊の御霊に深く哀悼の意を捧げ、謹んで掲載いたします。
写真1 米戦艦に魚雷が命中した瞬間 手前は巡洋艦群
写真2 99式艦爆と黒煙を上げる艦艇群(上方右)、ヒッカム飛行場(下方)
写真3 空母から出撃する艦上機
写真4 黒煙に包まれるホイラー飛行場
写真5 真上から見た米戦艦群
写真6 キャプションには断末魔の真珠湾全景とあります
写真7 航空魚雷の波
写真8 燃える真珠湾とガソリンタンク群
商品券と「お食事券」、が正解です。
田熊商工振興会のプレゼント企画文書で間違えそうになりました。
ワープロって怖い・・・
新しい元号は「令和」。
野次馬的にいくつか新元号の予想をしていましたが、かすりもしませんでした。。
天皇陛下は平成最後の誕生日会見で、即位からの日々を振り返られ、皇后さまや国民に対する思いを語られる際には
時折声を詰まらせながらお言葉を述べられました。「お疲れ様でした」等の世俗的な言い回しではあまりにも恐れ多いですが、日本にとっても皇室にとっても新しい時代がより素晴らしい歴史が刻めますよう祈念申し上げます。
「ゴルフ新規則、2罰打でバンカーから出せるなど…(日刊スポーツ)」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181214-00419233-nksports-golf
(前略)変更点はプレーの時間短縮を主眼にしている。見失ったボールの捜索時間は5分から3分に短縮。バンカー内の救済では1罰打のバンカー内に加え、2罰打でバンカーの外側(いずれも後方線上)からのプレーが可能だ。(後略)
そのルール、以前から作っといてくれや。。。笑
鳥越俊太郎さんが東京都知事選挙に立候補。そんなに憲法とか安全保障が気になるなら、都知事じゃなくて国会議員を目指すべきじゃないの。出馬する気もないのに記者会見までした石田純一さんも同様な事言ってましたね。
ちらほらいる他の革新系首長も、このオジサンたちと同様に見られたくないんじゃないかな。。。
「参議院議員選挙の結果に危機感を抱き、出馬を決めた」 前略〜 「参院選挙の開票状況を見ているうちに、だんだんこれでいいのかと思って。(改憲派が3分の2という)日本で初めてのことが起きた。このまま僕らが黙っていたらダメなんじゃないかと。(立候補は)誰にも相談せずに。家族はみんな反対です」(鳥越俊太郎氏)立候補決断に至った心境について、このように語った鳥越俊太郎氏(76)。〜後略
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160712-00000026-jnn-soci